4、現代国家と裁判制度

 最小国家主義者、あるいはレッセ・フェールを標榜する人たちも、治安の維持、裁判、国防の三機能は国家に留保されなければならない、と主張するのが普通である。これには長い伝統があって、たとえばレッセ・フェールを主張したとされるアダム・スミスでさえも、治安維持、国防、公共財の提供を国家の任務としているのである。また、現代のリバタリアニズムの文脈においてもっとも影響力のあった哲学者ロバート・ノージックもまた、彼のいう最小国家の任務として、これらの活動を国家が行うことを肯定している。

 しかし、現代の無政府資本主義者は、これらの機能も民間の営利会社によって維持することが可能であるし、そうしたほうがはるかに効率的な社会を実現すると考えている。とはいえ、ひるがえって、われわれが生活する現代社会では、究極的な権威付けや正義、実力などがすべて国家に依拠している状態にある。このような社会システムにあまりに慣れ親しんでいれば、どのように国家なしで法秩序が維持されるのかを想像するのは、たしかに容易なことではない。

 次章以降では、政府の存在しない社会での法制度について考えるが、ここではベンチマークとして、現行の刑事訴訟手続きや刑罰の意義、また民事訴訟手続きなどについて、簡単に概説してみよう。

 

刑事法制度

 現在の先進国の刑事法制度は、人権思想の世界化を受けてかなり収斂しているといえる。それは犯罪や刑罰の内容を決める刑法と、犯罪の法的に許される捜査手続きと裁判手続きを定める刑事訴訟法、および訴訟法のより詳細・具体的な規則である刑事訴訟規則などの法体系である。

 まず犯罪が発生すると、国家が独占する警察が捜査を開始する。その後、十分な疑いをかけられるような被疑者を見つけると、逮捕令状を裁判所に請求し、逮捕してその人身を拘束する。1週間程度の定められた拘留期間が終わるまでに警察は被疑者を起訴し、その有罪無罪を法廷で争うことになる。

 捜査段階における警察活動の抑制原理としては、令状主義があげられる。一般に犯罪の捜査を行う際には、警察は個人の身柄の拘束をしたり、個人宅を捜査したり、あるいは個人の所有物を一時的に強制専有したりすることが普通である。しかし、これは同時に、被疑者の立場からすれば、重大な人権侵害に当たるものでもある。そのため、捜査の行き過ぎによる人権蹂躙を防ぐために、第三者たる裁判官の許可証としての逮捕令状、捜索差し押さえ令状などを必要とするという制度である。

 被疑者が裁判の結果、有罪となった場合、犯罪者には大別して、罰金刑、懲役刑、まれには死刑が科せられるが、この罰金は国家がその受取人であり、犯罪の被害者に渡るわけではない。被害者が犯罪者から賠償を得るためには、刑事罰とは別に事件を不法行為として扱う民事訴訟を起こす必要があるのである。

 刑事事件においては、国家が訴追当事者となる。現在の刑事訴訟制度上の国家は、犯罪者を見つけ、罰する第一義的な任務を負っているのである。その反面、被害者はせいぜい法廷での証人や参考人として意見を陳述し、あるいは尋問をして量刑に意見を述べることが許されるのみである。これはつまり、犯罪とは基本的に「社会秩序」に対する罪であって、個人に対するものという意味は薄れているのである。

 実際に犯罪者への罰が、懲役刑、あるいは死刑である場合、被害者の被害の金銭的な回復は非常に難しくなる。犯罪行為以前に十分な貯蓄を持つ犯罪者は多くはないのが現実であり、懲役刑、死刑になれば、実社会での稼得能力を大きくそがれる、または消滅させられてしまうからである。

 被害者が犯罪者から損害賠償を受けるには、法廷外の示談による和解か、あるいは上述のように民事紛争としての不法行為法に基づく金銭請求をする必要がある。これは上記の刑事手続きとは基本的に独立したものであり、被害者の立場は国家によって行われる刑事裁判に対して後回しにされている。そしてこの事実は、多くの被害者のもつ刑事裁判制度への不満を生み出しているのである。

 これを受けて2007年には、フランスやドイツで実施されている附帯私訴の制度の導入がなされた。附帯私訴は、現在は刑事事件の被害者の訴訟負担を軽くするために、犯罪者への損害賠償の民事訴訟を刑事訴訟と同時に行うことになる。これによって、警察の収集した証拠の利用や、被害者の証言などを民事訴訟に利用することができるのである。

 さて、裁判の事実認定において特筆に価するのは、刑事裁判における無罪推定の原則である。これは一面では、犯罪の被疑者として拘留されている間は、原則的に無罪であると取り扱うべきだというものであるが、もっと重要なことは、有罪判定の基準にかかわる点である。刑事裁判では、「合理的な疑いを入れない程度の確信」が、その有罪判決には必要であると考えられている。

 これはつまり、担当の裁判官が「被疑者がやったのではないだろうか」、あるいは「やった可能性が高い」と思ったとしても、それが「合理的な疑い」をさしはさむようなものであった場合には、無罪を言い渡す必要があるということである。別の言い古された表現によれば、「灰色は白とみなす」ということである。なお、これもまた第二次世界大戦後に、アメリカ型の人権保障に厚い刑事訴訟制度が日本に導入されたときに、日本法に取り込まれた制度である。

 この原則は、犯罪後の被害者から被疑者に対する、民事的な損害賠償請求にはあてはまらないことは重要なことである。よって、法律実務家ではない人たちには不思議に思われるかもしれないが、刑事裁判では無罪となっても、損害賠償の民事裁判では損害賠償を命じられることがありえることになる。実際、これまでにもそういう事件はあった[1]

 また、後ほど詳述するが、刑事裁判では、検察側の提出できる証拠にもいくつかの制約があり、その一例に、違法収集証拠の問題がある。典型的には、令状なしで家宅捜索した際に発見された麻薬などがこれに該当する。このような証拠提出の制限があるのはなぜか、民刑一致の無政府社会ではどのように解決されるのかを、後ほど検討しよう。

 

刑事罰の意義

 では次に、やや原理的な問題に立ち返りたい。そもそもなぜ犯罪者を罰する必要があるのだろうか?

 第一の考えは、もっとも古くから存在したもので、「古典的応報刑論」と呼ばれる。それは「倫理的に悪いことをしたのだから、その報いとして苦痛としての罰を受けるべきなのだ」というものである。西洋ではカントが主張したことで有名である。これは道徳的な直感に依拠した議論だが、現在は野蛮である、原始的、感情的であるなどとして声高に主張されることは少なくなった。

 これに対して、ベッカリーアやベンサムなどの啓蒙主義的哲学者たちは、応報刑論は非合理的であると考えた。おそらく、近代の合理主義的な精神風土とは、あまり親和的ではなかったのだろう。応報刑は「犯罪者に苦痛を与えること」そのものが目的となっているのであり、無意味な残虐行為だとも考えられる。犯罪行為に対して応報したとしても、犯罪によって毀損されてしまった利益の回復には、いささかも貢献もしないのである。

 たしかに「害」はすでに発生してしまったのであって、それ自体は取り返しがつかない。犯罪者に罰を与えたとしても、その害がもとに戻るわけではない。極端に言えば、「あなたの一人息子はすでに殺されたのだから、生き返ることはない。その殺害者に苦痛を与えるのは無意味だ」という意見が応報の不合理性なのである。だから、純粋に「合理的」に考えれば、罰を加えることには意味がないという主張といえるかもしれないだろう。

 しかし実際に、私は応報刑論に対して共感を覚える。私は「現実に」それを望んでいるのであり、それによって主観的にもっとも大きな満足を得るのである。とするなら、合理主義的な反対意見の主張にもかかわらず、少なくとも私の主観においては「無意味」ではない。

 どうして、このような合理性と感情との不整合が生じるのだろうか?

 この一見した矛盾をとくために、人間の進化史を考えてみよう。原始的な環境では、自分に対して加えられた不利益に対しては、その相手に対して復讐をしなければならないという考えは、非合理などではなく、実質的な意味がある。それは自分に危害を加えるものは、それに応じて罰として将来の不利益を受けるということを確実にして、みなに知らしめ、それによって将来に起こりうる他者からの自分への攻撃を予防することになるためである。

 つまり、自分の息子が殺されたような場合は、すでに殺されてしまった息子については未来に向けては意味をなさなくても、私にとって復讐は意味がある。私には別の息子もいるかもしれないし、それ以外にも守るべき重要な人がいるのが通常だからである。すでに死亡した息子への加害者を罰することによって、私にとって重要な人たちを殺した人間はその罰を受けることになるだろうというメッセージが他人に対してはっきりと示されることになる。そこには、明らかに大きな合理的な価値がある。

 これはまったくの合理的な説明だが、このような「合理性」を個人が意識する必要はない。およそ論理など意識するはずのない動物でも、その子どもや仲のよい個体を守ろうとし、血縁個体が殺されれば復讐も行う。ヒトの進化には長い時間がかかっている。何百万年にも及ぶ過去の進化的適応環境における部族間の闘争においては、「身内が殺された場合には相手に血の復讐を行いたい」という欲求は、十分に本能的・道徳的な直感として進化するだろう。そう考えないような個人を構成する遺伝子は、血縁淘汰の原則によって、はるかな昔にヒトの遺伝子プールから消えていっただろう。

 このような理由から、応報刑論は独自の意義を持つ。そして、それは後述する被害者による刑罰の選択の場面において、大きな役割を果たすことになるだろう。

 さて、第二の考えは、「予防刑論」と呼ぶべきものである。これにはさらに細分化して、二種類の考えがある。

 まず、犯罪を起こした特定の個人が再び犯罪行為を引き起こさないように、社会から隔離する必要があるという「個別予防論」である。あるいは、再び罪を犯さないような人格へと「再教育」を行うために「罰」が与えられるのだと考える要素もある。この場合、罰というよりは教育というべきであろう。このような教育刑論は20世紀に入って高まったものである。その考えによると、犯罪者とは何らかの理由で人格の形成上、適切な社会化がなされなかったために犯罪を起こした人たちであり、矯正教育によって、一般的な生活を送ることが可能になるのだという。

 次に特定の犯罪者個人ではなく、犯罪の潜在的な予備軍に対して、犯罪の結果がいかなる刑罰となるのかを見せしめることによって、一般的な意味での犯罪予防を狙うという「一般予防論」がある。ある犯罪に刑罰が科されるということが理解されていれば、そのような犯罪行為を起こすだろう人間の数は減るだろう。それは犯罪という行為に不利益の要素を付加しているため、犯罪行為が行為者に与える心理的、あるいは物質的な満足度が低下するからである。

 現代国家によって運営される刑事制度においては、上記の3つの刑罰の正当化の理論が一体となっており、それらをどのような程度で採用しているのかは、まったく明確にされていない。罪刑法定主義からすれば、罪の重さに応じた罰という意味では、応報刑論の考えも採用されているようである。また一般予防の観点から見ても、重大な犯罪の抑止には重大な罰を与える必要がある。とはいえ、この一般予防論もよくよく考えてみれば、自由刑への嫌悪感の個人差などが考慮されていない点では、完全なものではない。そして少年法は、少年の人格の可塑性に鑑みて、教育刑論的な配慮を行っているのである。

 

理念別に適切な量刑は異なる

 犯罪には刑罰が科される必要性があるということにはすべての人が納得するだろうが、では、特定の犯罪に対してどれだけの量刑が適切なのかということになると、コンセンサスは存在しない。上述の4つの刑罰理念から、それぞれにどれだけの量刑が適切であるのかを、以下に考えてみよう。

 まず、応報刑についてはどうだろうか。応報とは、被害者の受けた損害や苦しみの分に見合った損害や苦痛を、犯罪者にも与えることである。この場合、ロスバードがいうように「犯罪者は自分が被害者から奪うのと同じ程度で権利を失うと言うべきならば、・・・盗みの場合、犯罪者は盗みの程度の二倍を支払わねばならない」ということになるようにも思える。さらに犯罪者は被害者を「恐怖と不安定・・・の状態に陥れた・・・だから比例的な刑罰を科するためには、二倍以上にそれをふやして、被害者の独自の苦難の不確定で恐ろしい側面を何らかの仕方で償うようにしなければならない」という考えももっともらしいものである[2]

 ここで2という数値は、あくまでも応報という倫理感情、正義感情から起こったものであるため、実際には人びとはそれぞれ大きく異なった報復感情を持っているとしても、共通了解としてはそれなりに納得できる特定の数値だといえるかもしれない。余談となるが、これは同害報復の原理として、ハムラビ法典の時代から続くものである。しかしハムラビ法典では、2倍ではなく、1倍の報復を刑事罰としており、むしろ刑罰権を大きく抑制して、復讐が復讐を招くような事態を避けて社会を安定させようとしていたのである。このことは、多くの現代人は同害報復自体がひじょうにゆきすぎた、あるいは残虐な刑罰であると考えることとは好対照をなしているのは興味深い。

 次に、一般予防の観点からは、どのような量刑が適切なのだろうか。フリードマンは上述のロスバードの原則的に2倍額の賠償という考えに対して、「2というのはいい数字だが、3についても同じことがいえるし、4や10や100がよいかもしれない。問題は、答えをでっち上げることではなく、答えを導き出す方法を見つけることである。」とかなり否定的に論じている[3]

 フリードマンのように一般予防を重視する思考は、刑法の啓蒙思想家であったベッカリーアから始まる。18世紀、ミラノのベッカリーアは『犯罪と刑罰』において当時の恣意的な拷問や死刑の安易な適用に代えて、刑罰はその犯罪に見合った適切な量刑であるべきことを説いた。また教育刑や社会政策においてもベンサムなどに影響を与えた思想家だったのである。

 ベッカリーアが抽象的に論じた適切な量刑の概念は、その後、経済学におけるベッカーの先駆的な研究を経て、現在までにほとんどの経済学者に引き継がれている[4]。彼らは普通、適切な量刑として、まず犯罪者の期待的な不利益を求めるために以下の計算式を使う。

 

    処罰期間 × 犯罪者の時間当たりの賃金 × 逮捕処罰される確率

 

最初の二項の積が、犯人が実際に処罰された場合の損失額の期待値で、それに逮捕の確率をかけることによって、リスク中立的な犯人の期待的な損失額を算定する。これが犯罪による利益よりも大きいなら、合理的な犯罪者は割に合わないために犯罪をしなくなるだろう。

 

  処罰期間 × 犯罪者の賃金 × 逮捕処罰される確率   犯罪利益

 

これを変形して、

 

  処罰期間  犯罪利益 ÷ (犯罪者の賃金 × 処罰確率)

 

これにより、犯罪の利益が大きければ処罰期間は長くなるべきであり、処罰の確率が下がれば、より長い処罰期間が必要になる。やや逆説的なのは、犯罪者の賃金が高い場合には、処罰期間は少なくてもよいということである。処罰期間その他が同じであるとすれば、高給を取る人びとにとって財産犯罪は能率の悪い稼ぎ方だからである。これはまた、高賃金の人びとが財産犯罪を犯さないのは、彼らにとって「犯罪行為が割に合わない」ということが一因であるという考えと一致する。

 さて、もう一度計算式に戻ってみて、処罰期間 ×  犯罪者の賃金 = 逮捕処罰された場合の損失額 だから、

 

   逮捕処罰された場合の損失額 × 逮捕確率  犯罪利益

 

が成り立てば、一般予防としては十分だということになるだろう。つまり逮捕確率が0.5のときにのみ、犯罪利益のちょうど2倍が、最低限度の賠償額だということになる。逮捕の確率は多くの犯罪でこれよりもはるかに低いため、犯罪の予防には2倍よりもはるかに大きな罰金が必要であるということになる。よって、基本的には望ましい罰金額とは、逮捕処罰の確率という経験的な事実にも依存しており、ロスバードがいったような応報刑の基準としての2倍という額と一致するとはいえなくなる。

 しかし、上述したような一般予防に必要な処罰の算出は、その最低限度を決めるものでしかなく、原理的に考えれば、刑罰は酷であればあるほど犯罪の抑止効果が高いことになる。とすれば、100円の窃盗でさえも死刑に処するというのが一般予防の見地からは望ましいことになるが、すべての人間が、これは行き過ぎであり、正義に反すると感じることだろう。つまり、応報刑論は犯罪行為に対する罰は比例原則を満たすべきであると主張している点で、より正義にかなっていると直感されるのである

  最後に付言すれば、教育刑的な要素は19世紀以降に急速に発達してきたもので、前近代には存在せず、したがって量刑には意味を持っていなかった。教育刑という概念に対して危惧を訴える人びとが指摘するように、教育刑は不定期な量刑を意味する可能性を内包している。それは犯罪者の更正が速やかに進めば、重罪であっても早期に釈放される反面、更正が進まなければ微罪であっても長期の拘束をする必要性を意味するだろう。この点で、現代の刑事政策は、教育刑的な処遇は罪刑法定主義の規定する量刑範囲内でのみ行っている。これは他の目的と妥協的ではあるが、犯罪者の人権保護としては肯定されるべきだろう。

 

進化論的説明

 さて、このような論者による主張の食い違いは、どう説明されるべきなのだろうか。私は以下に、この問題を形而上学的な方法ではなく、むしろ進化的適応環境について考察することで、犯罪行動を取り巻く状況論理からの説明を試みたい。

 部族社会で盗みが発生したとしよう。原始的な社会であるため、それを発見し、罰するのは被害者とその親族や友人以外にはいない。そして、それには大きなコストがかかる。捜索、その後の犯罪者への詰問、賠償の請求、賠償の履行の確保、などは、どれをとっても大きな人的なコストがかかるものである。

 注意してもらいたいのは、このような状況では、応報と一般予防、個別予防はすべて未分化だということである。犯罪への被害者による対処行動は、被害者が自分の利益の侵害に対して断固として対応することを意味しており、同一犯人には直接的な経験として、あるいはその他の潜在的な犯罪者に対しては伝聞などによって、将来的な侵害を防ぐだろう。この意味では、個別予防、一般予防の両方に資するのである。

 しかし、応報的な怒りの感情がなければ、人間は仲間に頼んで犯罪被害に対処するというような大きな人的な資源を投入することは難しい。合理的に考えれば、犯罪による損失はすでに確定的に発生しているのに対して、対処行動は高くつく割には、その損害が回収できるかどうかはわからないからである[5]

 典型的な事例として、傷害事件をとり上げてみよう。自分が腕の骨を折られるという傷害事件の被害者になり、犯人は財産もなく、稼得能力もほとんどない人間だったとする。この場合、合理的に考えれば、友人に頼んで犯人を捕まえ、犯人に賠償を要求しても効果がないだろうし、監禁労働させることはさらなる出費になるだけで、損害の回収ができない可能性は高いだろう。また犯人への刑罰として、その片腕、または両腕の骨を折ることは、被害者である自分への直接的な利益にはならないため、損害の回復にはまったく役に立たない。さらには、犯人からの反撃にあい、余計に損害が拡大することも十分にあるだろう。

 感情を持たず、合理性を追求する人は、これらのさまざまな思惑を考えるため、その犯罪への対処はどうしても徹底しないものになりがちであろう。例えば、私がオープンカフェで食事をしている時に、ホームレスが私の食べ物を奪って食べたとする。私はどうするべきだろうか。彼は無一文であり、食べ物は彼の胃袋に入ってしまっている。彼のそばにいると悪臭が漂ってきて不快である。この場合、合理的に考えるなら、私は彼とこれ以上関わるべきではなく、見逃すべきだということになるだろう。

 これはまた、我われの多くがヤクザに言いがかりをつけられて絡まれ、金を取られたような場合、ただ謝ったり、逃げたりすることが多いこととも共通する。ヤクザはそもそも暴力的であり、その犯罪を追及することは、逆に自分の受けた被害の追加的な拡大につながることも、合理的には予測されるからである。

 これらの場合、合理的な人間はその場の合理性を優先するため、将来の犯罪予防にはかえってマイナスの行動を選んでしまうことになる。これに対して、強い応報感情を持ち、正義感や義憤から行動をする人間は、このような行動をとらないことが多いだろう。合理性を超えて、「不合理な」正義感に従った行為に出る人間は、ホームレスには不快感を我慢しつつも苦痛を与えるだろうし、ヤクザに対してもさらに大きな被害を受けつつも反撃を試みるだろう。

 この反対に、応報感情は刑罰の上限も同時に規定している。前述したように、単純に一般予防効果を最大にするためには、あらゆる犯罪に対する最適な刑罰は犯人の死刑になってしまう。なぜなら、どのような小さな罪であったとしてもその刑罰が死刑であるなら、刑罰が軽い場合に比べて、潜在的な犯人はその実行をためらうだろうからであり、よって抑止効果はより高いだろうからである。

 しかし、上述したように刑罰の執行にはコストがかかる。原始的な社会では、刑罰執行のコストは被害者とその親族や友人たちが完全に負う必要があることを考えると、小さな罪に対して不相当に大きな刑罰を課そうとすることは、長期的に見た個体の適応度をむしろ下げてしまうだろう。刑罰の執行の典型は犯罪者に苦痛を与えることだが、これを実行するためには犯人を探し出し、物理的・心理的に攻撃するための生体の物理的なエネルギーを必要とする。また大きな刑罰を課そうとすればするほど、犯人が反撃してくる可能性や、犯人の近親集団から将来的な報復を受ける可能性も高まるだろう。

 明らかに、それぞれの犯罪にはそれに応じた適切な量の刑罰が必要であり、それは小さすぎても、大きすぎても個人の適応度を下げてしまうことになる。よって、その最適値を知る必要があるが、応報感情はその簡便な行動基準として発達した心理的なメカニズムなのである。我われのもつ応報感情は、些細な罪に対しては小さな刑罰を要求し、重大な犯罪に対しては厳重な処罰を要請するが、それは大まかには人類の進化の過程において合理的な刑罰に近似してきた結果なのである。

 以上の説明から理解できるように、それ自体がコストを伴うような合理的な計算による刑罰の実行に比べると、感情的な対応のほうが情報処理コスト的にも安価で、将来的な被害の抑止にも適切な対応になる。そのような犯罪の抑止効果は、部族集団の中でその生涯を送った原始時代にははるかに大きなものだっただろう。なぜなら、現代のような匿名性の高い多数の人間が交錯する大都市と、人間が過去数百万年にもわたって生活してきた進化的適応環境とは大きく異なっているからである。原始的な社会では、集団内の個人は他の個人を完全に識別し、その特徴も互いに認識しあっていたはずである。適切な犯罪への対応は評判となって、個人を犯罪から守ったのだ。

 このような理由から、行動のコミットメントとして発達した犯罪への応報感情は、人類の遺伝子プールの中に広まって定着することになる。このように応報感情は、太古の昔から地質学的な時間をかけて連綿と発達してきたものであり、所有物の窃盗などの財産犯だけでなく、殺人や傷害、レイプなどの金銭換算が難しい犯罪に対しても報復行為を行うべく、進化的安定戦略(ESS)として進化してきたもののはずなのである。

 これに対して、合理的な刑罰の算定は、その時代の特定の社会における犯罪の逮捕処罰の確率や、犯罪者の潜在的な機会費用としての労働賃金など、複数の要素によって変動する。だから、ある意味で臨機応変に対処することができるともいえるだろうが、それは何百万年にもわたって進化してきた人間のもつ倫理感とは、原理的に別個のものとなる。よって哲学的な正義論の立場からみると、現代の合理主義者の提唱する一般予防のための量刑の算定には感覚的に同意できないのである。

 つまり、応報刑論と予防刑論の二つの理念からみた望ましい量刑は異なってしまうが、それはやむをえないのである。また現代社会では、刑罰の執行主体が被害者ではなく、国家であるため、状況はさらに錯綜したものになっているといえるだろう。では、現在のように国家が刑罰を押し付ける状態が解消した場合には、無政府社会ではどのような刑罰が課されるようになっていくのだろうか。

 第7章で詳述するように、まず自由刑に代わって損害賠償がより一般的な刑罰になるだろう。次に、罰則の厳しさについても、社会の中には複数の考え方が並存し続けるだろう。一つには、損害額をはるかに超える懲罰的で過酷な刑罰を科す仲裁会社・警備会社があるだろうし、その反対に、よりトルストイ的な人道主義の観点から損害額のみの賠償にとどめるような仲裁会社・警備会社もあるだろう。そして、これらの中間に位置する会社などへと多元化していくのではないかと思われるのである[6]

 

未遂と社会不安

 未遂犯についても同じことがあてはまる。未遂とは、利益、あるいは法益の侵害が起こらなかった場合だが、常識的に考えて、我々はそれを罰する必要があると考える。ヒトの応報感情は、将来において、同一行為がなされた場合に、結果が発生する蓋然性に応じて非難可能性が高まり、適切だと考えられる量刑も上がってゆくように発達してきている。

 これもまた、一般予防の観点から正当化できる。未遂と認識される行為は、そもそも結果の発生の蓋然性があった場合に危険視されるものである。潜在的な可能性に応じて、被害者も危険を被ったと評価できるだろう。よって、現在なされているのと同じように未遂行為の危険性にかんがみて量刑がなされ、被害者の心理的被害への賠償額を算定することになる。

 連続殺人や無差別殺人などは、社会不安を引き起こす。現在の量刑ではそれらもまた考慮されるが、それは、そういった犯罪類型では、自分も潜在的な被害者の候補であると多くの人が思うからである。とするなら、犯人への集団訴訟のような形で、一人一人は小額であっても、殺人鬼から賠償を受けることが合意されるだろう。

 日本の刑法典では、まず内乱や外患誘致などの国家に対する罪が規定され、その後、社会不安を生じるような騒乱や放火、電車転覆などが規定されている。最後に、純粋に個人的な法益への犯罪としての、殺人や傷害、強盗やレイプなどが規定されている。いかにも、国家主義的な時代の遺物というべき状況にあるのである。国家への罪などそもそも存在せず、社会への罪は個別的な殺人や傷害の可能性に還元されるべきである。私的な刑事手続においては、社会的な罪はすべて、それに応じて潜在的な被害者が感じる恐怖を積分することによって量刑されることになるだろう。

 

自由刑を中心とした刑罰

 現在の先進国では、刑罰としてはほとんどの場合、軽微な犯罪に対しては罰金刑が課され、重大な犯罪に対しては刑務所への収容という形での自由刑が採用されている。そして、自由刑の極限として死刑を採用している地域も、中国をはじめ数多く存在する。しかし、死刑がEUをはじめとした先進諸国では、全般的に廃止されつつあるというのも周知の事実である。

 日本でも、交通犯罪や経済犯罪の多くには罰金刑が課され、殺人、放火などには懲役刑が課される。死刑については、廃止論はあるものの、コンセンサスがいまだに形成されておらず、やや現状維持的に継続されている。

 しかし歴史的に見れば、自由刑はほとんど利用されてこなかった。なぜなら、人を牢獄に入れて、生かしながら自由を奪うということには、大きなコストがかかるからである。頻繁に飢饉に襲われて、人びとが食べるものにもこと欠くような前近代の社会で、犯罪者に自由刑を受けさせるのは明らかに非常識的だろう。日本でも、江戸時代までの「牢獄」は、基本的には刑事裁判を待つ被疑者を拘束しておく場所であり、刑罰としての自由刑の執行所ではなかったようである。

 自然なことだが、過去の専制政府は、私有財産の没収や罰金を課するか、打擲(ちょうちゃく:ムチ打ち)などによって苦痛を与えるか、刺青を入れたり晒し者にしたりして犯罪者のラベリングをするか、あるいは重罪については死刑を利用することが通常であった。罰金についても、その支払いができない場合には刑務所のような場所で働くという選択肢も存在していなかったのである[7]。監視下における強制労働は、監視者が必要である上に、自発的な労働ではないという点で、基本的に奴隷制と同じような経済効率の悪さを生じるからだろう。

 またイギリスやフランス、ノルウェーなどでは前近代にひろく流刑が採用され、植民地への追放が行われた。イギリスはアメリカ大陸に流刑として多くの罪人を送り、アメリカ独立後はオーストラリアに流刑地を変更した。ロシアでも17世紀以降のシベリア開拓に、多くの流刑者があてられており、中国でも漢の時代にはすでに屯田開拓のために西方への流刑が存在していた。

 これは日本でも同じで、政治犯・思想犯を始め、多くの島への島流しが実行されていた。古くは、四国や伊豆大島への流罪というものがあった。制度的には、平安時代以降は京都からの遠近において、遠流(おんる)、中流(ちゅうる)、近流(こんる)などと分けられ、江戸時代にも八丈島は島流しの地として有名だった。

 また日本では「耳落とし」や「鼻そぎ」、あるいは「刺青」というような身体刑も一般的であった。こういった身体的な苦痛や、永続する犯罪者としてのラベリングが制裁として当然だと考えられてきたのである。また、明治時代に入ると、北海道開拓を目的に、囚人を十勝、旭川などに送っていたことも広く知られている。

 これに対して、罰金刑と自由刑の組み合わせが、我われの社会において圧倒的に支配的な刑罰となっているのだろうか?

 科学技術が進み、高速な移動が可能となった結果、世界中に移民して世界が一体した。これに伴い、世界が主権国家によって分割領有されるようになり、罰としての流刑は次第に成立しなくなった。同時に、物質的な豊かさとそれに伴って肯定される啓蒙思想は、ムチ打ちその他の身体刑の苦痛を与えるという方法や犯罪者のラベリングが非人道的であると主張し、人びともこれに同意するようになる。江戸時代の姦通罪には「鼻そぎ」が適用されたが、こういった刑は当然に憐憫の情を引き起こし、当時でさえも否定的な人間もいたのである。

 とすれば、自由を奪うという刑が主流にならざるをえないだろう。人道主義的にみて、死刑が「残虐」な刑罰であると考えられるようになり、同時に犯人の有罪認定には間違いが起こりえることを強調すれば、どのような残虐行為に対しても死刑は廃止されるべきことになる。興味深いのは、日本においても平安時代には死刑が停止されていたという事実である。戦国時代には当然に刑罰は「かまゆで」などを含む残虐なものになるが、平和な江戸時代には、死刑は望ましくないと考えるような風潮が再び広がったという事実である[8]。いわんや、平和な現代では死刑に反対する人が多くなるのは自然なことだといえるだろう。

 残るのは罰金刑と自由刑のみとなる。では、軽微な罪には罰金を課し、重罪には自由刑が課されるのはなぜなのだろうか?自由刑を廃止して、すべてを罰金刑にするという制度はなぜ一般化していないのだろうか?

 上述の刑罰の意義に対応して、その理由は二つ、あるいは三つある。

 第一は、ある程度の期間にわたって犯罪者の自由を奪うという処罰が、我われの応報感情に応えているというものである。たしかに啓蒙主義・人道主義の行き着く先は、犯罪者への「必要以上の苦痛」の投与を避けるべきだというものなのだろう。しかし、そもそも、なにが「必要」なものなのかは明らかではない。

 我われの心理には、「罪人に対してはその罪に応じた程度の報いがなされるべきである」、という応報の感覚が残っている。拷問などの苦痛の投与は許されないが、しかし犯罪者の自由を奪うことによって不利益を課し、それが罪への償いとなるのだと感じるのである。

 第二の理由は、犯罪の一般予防である。殺人や放火などの重罪に対する刑罰を罰金刑とするなら、十分な資産を持つ個人に対しては、事実上そのような犯罪についての抑止効果が得られないのではないかと恐れるのだ。

 また罰金刑における金額を、犯罪者の資産や稼得能力に依存しない、つまり同じように適応されるとするなら「金持ちは人殺しを許される」という反感につながる。これに対して、いつの時代においても、個人のもつ資産は不平等だが、個人に与えられた人生の時間はおよそ平等である。よって、自由刑のほうが罰金刑よりも裕福な人びとへの犯罪抑止効果が高いと期待されるだろう。

 とはいえ、この理由付けは誤りかもしれない。経済学者であれば、富裕層への犯罪抑止効果は、個人資産や個人所得に応じた罰金刑にするほうが好ましいというかもしれない。なぜなら罰金刑では、少なくとも刑罰を与える国家、あるいは無政府社会では被害者が犯罪者から金銭を得るのに対し、純粋な自由刑では、犯罪者は刑に苦しみ、さらに刑務所の維持管理のために国家および被害者は金銭を失うからである。

 また現実的に考えても、自由刑を罰金刑に変えた場合に、富裕な人物への犯罪抑止効果が弱いからといって、それによって裕福な人びとが殺人を始めることもないだろう。犯罪者への実際上のもっとも大きな不利益は、刑罰そのものよりも、むしろ犯罪者であるという社会的な烙印を押されることによって、その後の社会活動が事実上不可能になることだからである。そして、そういった社会活動を奪われた場合に、大きな不利益を受けるのは裕福な人たちであって、定職を持たず、住所も定まらない人たちではない[9]

 さて、自由刑が重罪への罰とされることの確実な理由は、個別予防の点にある。ある常習犯罪者に次の罪を犯させないためには、死刑を除けば、その人身の自由の拘束がもっとも簡単な方法だからである。

 殺人、レイプ、誘拐、放火など多くの犯罪は、その実行のためには自由に行動できる必要がある。そして、殺人や誘拐など、常習的な犯罪者の多い犯罪行為を防止するためには、常習者を社会から隔離監禁するのが効果的だろう。

 刑務所の廃止と、それに伴う自由刑制度から損害賠償制度への転換は、無政府主義においては必然的な副産物となると多くの人が考えている。しかし私は、多くの人が刑務所、あるいは政府がなくてはならないと考えるもっとも重要な理由は、このような犯罪者の社会隔離の要請であると考える。

 自由刑の第一の理由である応報感情については、犯罪の損害を賠償することは、ほとんどの犯罪者にとっては現実的には強制労働を意味するため、あるいは単なる自由刑よりも罰金刑のほうがより適合的であるかもしれない。少なくとも、現在のような人権保障の確立した自由刑の制度では、無為を好むような貧しい犯罪者にとっては罰金刑、あるいはそのための強制労働刑のほうが、より過酷な刑であると感じられることは多いだろう。

 第二の理由は、あまり理由がないように思われる。一般予防の見地から論理的に考えるなら、罰金刑は、犯罪者の資産や所得に応じて具体的な金額を変えるべきだという結論以上のものは引き出せないように思われる。

 よって第三の理由がもっとも重要であることになる。自由刑が支配的な地位を占めるという刑罰の状況は、つまり過去にそれらの罪を犯した人物は次も犯す可能性が高いと人びとが考えているからに他ならない。多くの親が子どもの誘拐を恐れ、女性がレイプを恐れ、高齢者が強盗や放火を恐れているのは、これらの犯罪ではまさに累犯が一般的であり、彼らは隔離されていなければならないという認識があるからだろう。

 この問題は重要なので、無政府主義における刑罰の形態について述べる際に再び言及しよう。

 

民事法制度と刑事法制度

 我われの社会にはまた、私人間の法律的な争いについて規定する民事法体系も存在する。民事法の妥当する範囲の典型的な例は、ある人が金を貸したが、返してくれないので、その金銭の返還を求めて争う、というような訴訟事件である。

 これには争訟の法律的な結論を定めた民法や商法、その他の特別法といった実体法と、その訴訟手続きを定めた民事訴訟法・民事訴訟規則などの手続法があるのは刑事の場合と同じである。当然ながら、民事裁判制度は、刑事裁判制度に比べれば、原告・被告として争っている当事者である私人に、はるかに多くの権利や義務をゆだねている。

 一般に訴訟は原告が、なんらかの権利や地位の確認・保全、あるいは金銭賠償などを求めて被告を特定して始まる。裁判所は、基本的には両当事者の用意した法律的な権利の主張を、事実の存在・不存在によって認める。その事実の存在もまた、当事者が用意してきた、事実を推察させる証拠を使って認定するのである。

 まず、前者の法律構成にしても、後者の証拠の提出にしても当事者が主導権をもっている。裁判所は当事者の訴えている法律的な内容のみを審理し、その審理には当事者から提出された証拠だけを使うというのが民事訴訟の約束事なのである。実際には、裁判官の釈明権と呼ばれる裁判所の職権による法律構成や証拠の提出の要請もある。これは、専門家である弁護士と一般人の間の訴訟遂行のように、あまりにも大きな訴訟能力の差がある場合などに、裁判官が職権で介入を行うものだが、これは例外的とされている。

 また事実認定に際しても、民事訴訟では、当事者が用意する証拠に依存するだけでなく、「証拠の優越」の原則が採用される。これは、ある事実を認定する場合には、裁判官の主観の中で、「どちらかといえばこうであるだろう」という程度の心証形成でかまわないということである。これも民刑一致の無政府社会での訴訟では、一般的になるだろう。

 なお、日本の現在の法制度においては、民事、刑事以外に行政訴訟という形態がある。これは国家を被告として、国民が国を訴える場合の訴訟である。当然ながら、無政府社会には行政訴訟は存在しない。

 しかし、なぜ一つの犯罪行為を処理するのに、国家との関係については刑事制度、被害者との関係については民事制度という並立的な二つの制度を使う必要があるのだろうか。

 たとえば、私が道を歩いていると、見知らぬ人物が切りつけてきて、私は大きな障害を負ったとしよう。このような場合、われわれは警察に通報し、犯人を処罰してもらうだろう。そして、その損害の金銭的な賠償は、自分で犯人に対して請求するのである。

 その反面、私が契約している医療保険が支払われるべき状況にあるのに、契約会社が支払いを拒否してきたとしよう。このとき、警察に行く人はいない。大きな金額であれば、弁護士のところに行くだろうし、小さな額であれば、泣き寝入りするか、あるいは(やや反倫理的だが、日本の現実では)暴力的な友人や知人に相談して解決しようとするかもしれない。

 われわれの生きる現代社会では、犯罪とされる行為に関しては、国家が第一義的にその懲罰責任を負い、刑事裁判制度が活用される。そして、それ以外の私的な紛争の場合には、民事裁判制度を利用することになっている。あるいは利用することが、法規範上は一応、予定されているのである。

 しかし、このような二分法は、そもそも警察活動がもっぱら国家によってなされることに起因している。現代人はこのような制度にあまりにも慣れきっていて、それ以外の制度がありうることはほとんど想像することもできないのだ。しかし、無政府主義者が主張するように、たしかに代替案は存在する。

 それは、刑事法を民事法と一体化する、民刑一体の法制度である。簡単にいえば、刑事制度を民事制度に還元してしまう制度だといっていいだろう。そして、無政府の社会には警察活動を独占する国家は存在しないため、民刑一致の法制度はまた、無政府社会では必然とならざるを得ないのである。

 

近代以前の法制度

 これまでみてきたように、近代国家が誕生して以降、警察権・司法権は、基本的に国家による独占的な活動領域となった。しかし、近代国家の成立以前には、これらの活動の多くが私的な領域とされていたのである。

 おそらく無政府主義者の間でもっとも有名な法制史的事実は、フリードマンによって報告されている中世アイスランドの民刑一致の法制度と、ペーデンによる次の中世アイルランドの社会だろう。まず、王や貴族のいない民主主義が世界でもっとも早く確立したといえるアイスランドでは、犯罪はプライベートな不法行為として取り扱われ、損害賠償によって解決されていた。犯罪者が賠償をなすことができない場合にはアウトローとして扱われ、加害者は誰によって殺されても、それが犯罪とはならなかったのである(Friedman 1979)

 イングランド侵略以前のアイルランド中世における法システムについては、ペーデンが報告している[10]。そこでは王もまた自由人と同じように法に服しており、その法は王によって作られたのではなく、自生的に生じたものであった。自由人はtuathという政治体を構成して、警察や裁判を行ったが、その所属は自由人の意思によって変えることのできるものであった。

 興味深いのは、日本では民法の起草で有名なボアソナードが、ヨーロッパ法制史に関して論じた著作である。ボアソナードは、アイルランドは徹底的にコミュニタリアンな制度を採っており、私有財産制度はほとんど存在しなかったと主張したのである。これが後に広く信じられるようになり、通説となって確立したのである。

 その後、20世紀に入り、歴史的な資料がはるかに大量に参照できるようになると、これは誤りであることが明らかになった。アイルランドの中世では、教会法とは別の世俗法によって多婚的な制度が維持されていたこと、女性の権利がある程度保護されていたこと、夫がいない場合などには契約を結ぶことができたことなどがわかってきた。そこでも、現在のように豊かではない社会としては当然だが、犯罪は賠償によって贖罪されるべきものとされていたのである。

 これに関してロスバードもまた、中世における刑罰が主に損害賠償であったことを指摘し、そのような制度のほうが自然なものであると考えて、次のように書いている。

 

「中世のアイルランドでは、国王は国家の首長ではなくて、むしろ犯罪の保険者だった。もし誰かが犯罪を犯したならば、最初に起こるのは国王が被害者に「保険金」を支払うことで、そして今度は犯罪者をして国王に対して支払いをさせるのであった」[11]

 

 同じように、ベンソンはその著『法の企て(The Enterprise of Law)』の第2章において、ノルマン人の征服以前のアングロ・サクソンの刑事制度が、賠償を中心とする民事制度であったことを、イギリス法制史研究を引用しつつ報告している。その後、ノルマン王朝は「王の平和king's peace」を乱すという名目の下に、徐々に一般刑事事件にその干渉範囲を広げていった。王の主だった刑事事件への関心は、その資金調達にあったという。このように王権が伸張した結果、犯罪者は財産を没収されるが、その財産は被害者には渡らなくなる。歴史的な時間のなかで、人びとは王が犯罪者の財産の没収と罰金を独占する態度に反発し、刑事裁判にむしろ非協力的な態度へと変化していった。このことは、イギリスの著名な法学者であるメイトランドの著作『イングランド法史概説』にも明らかである。

 考えれば、それは無理もないことだろう。現行の英米法における刑事訴訟制度でも、被害者は単なる証人の地位を得ているに過ぎず、その証言活動の主要なモティベーションは犯人の処罰であって、賠償を受けることではない。皮肉なことに、犯人が有罪判決を受けて刑務所に収監されると、犯罪被害の賠償はより困難になるのである。

 同じように、法人類学者と呼べる分野の創始者として著名であるポスピシルはまた、ニューギニアの部族における犯罪の解決法について報告している。そこでも、各人は所属する部族ごとに集団を作り、犯罪の訴訟は被害者と犯罪者の属する部族集団の見守る中で行われ、有罪の場合には賠償がなされることが確認されるのだ[12]

 この点は成田弘成による人類学研究でも確認されている。異なった部族間の紛争は部族のリーダーであるビッグマンたちによる調停裁判によって決せられるが、成田は「それぞれのクランを代表するビッグマン達が出席し、適切な賠償の額を話し合います。この場こそ、ビッグマンの交渉能力の見せ場であり、少しでも自己のクラン集団に利益をもたらす交渉を行ったものこそ真のリーダーとしての名声を得ることが出来ます。」と記している[13]。あるいは、後述するように、無政府社会の警備会社の代表者たちは、その重要性において社会のリーダーであるとみなされよう。その場合には、現在の政党のリーダーに対してと同じように、警備会社の経営者たちへの賛美や批判は、そのまま会社の存亡に直結するようだろう。

 最後に日本の古代についても、石母田正が戦後、一連の歴史研究を行っている。石母田によれば、古代日本では、共同体の内部に存在した自生的な秩序が、次第に発達してきた王権やその代理などの、上位の政治権力によって取って代わられていったという結論を出している。どのような社会でも、絶対者のいない社会では習俗がそのまま法秩序を形成するのに対し、次第に権力者がそれに介入し、自らの権威付けをはかると同時に、収入とするために、刑事法を人びとに押し付けるようになるのは必然的なのだろう[14]

 もっとも石母田は、「クニの領域内に起ったもろもろの罪は、族長を含むクニの成員全体の集団的、公共的な儀式によって祓除されるべきものと考えている点にある。・・・いいかえれば、私犯が私犯として分化独立せず、共同体に対する公犯として存在し、したがってそれらの罪も成員全体の公共的な祓除の儀式によってはじめて解除されるものと観念されている点にある。」と記してもいる[15]。これは、古代のクニにおいての殺人などの私的な犯罪はすでに社会的に対する罪であると考えていたことを示唆しており、個人主義的な色彩の強い古代ゲルマン社会の人命涜職金などの制度に比べて、日本では集団的な色彩が強かったといえるだろう。この意味において、あるいは日本人は、古来より集団的な犯罪処理を好んだのかもしれない。

 ともかくも繰り返すなら、周期的に飢餓が襲うような近代以前の社会では、犯罪の処罰に刑務所を活用するというのは現実的ではありえない。刑務所は建物や管理人、食料も必要であり、浪費的な解決法だからである。おそらく、はるかに物質的に豊かな未来の無政府社会においても、損害賠償は支配的な処罰形態となるだろう。あるいは後述するように、一部は刑務所での労役、さらに一部は死刑などが行われるに違いない。しかし、どのような処罰形態が選ばれるにしても、その主流は現在のように国家が税金を使って運用される資源浪費型のものではありえず、むしろ生産的なものであるはずである。

 この点については、第7章でより詳しく論じることにしたい。

 



[1]  1993年に神奈川県藤沢市でおこった25歳の女性の死亡事件では、殺害および放火容疑の男性がいったん証拠不十分で不起訴になったにもかかわらず、民事訴訟では殺人が認定されている最高裁確定)。これを受けて刑事起訴された被告ではあるが、2003年に「合理的な疑いをいれる余地がある」として無罪となっている。またアメリカでは、有名なフットボール選手であったO.J.シンプソンによる1994年の元妻の殺人事件が有名で、刑事では無罪であったものの民事では懲罰的な賠償判決が出ている。

[2]  『自由の倫理学』p.105

[3]  『自由のためのメカニズム』p.219

[4]  ベッカーによる先駆的研究は“Crime and Punishment: An Economic Analysis” 1968がよく知られている。

[5]  ここでの応報感情の進化論的な説明の前半部分は、その着想をフランク『オデッセウスの鎖』に負っている。

[6]  トルストイは人道主義から刑罰の廃止を主張したが、明らかにそれを採用する人は多くはない。

[7]  例外的に江戸時代には水替え寄場や人足寄場などが労働刑務所として機能していた。

[8]  村井敏邦『民衆から見た罪と罰』pp.29-30では、江戸の庶民の間に死刑への抵抗感が広がっていたことを示唆している。

[9]  Lott (1992)では詐欺や窃盗などの犯人が有罪によって受ける収入の減少は、高収入の犯人ほど大きいことが報告されおり、Waldfogel (1994)では麻薬犯が有罪判決から受ける収入の減少は30%にも上ると推定されている。

[10] Peden, 1977

[11] 『自由の倫理学』 p.103

[12] Pospisil, 1971

[13] 成田 p.146

[14] 石母田 1988

[15] 石母田 『日本古代国家論』 第一部 p. 172